組織はもっと「ケガ」をしましょう
朝ヨガ練習の後に、スタバでふと考えたこと。
ヨガでケガをする
今年はヨガの練習で結構ケガをしました。両ひざ、腰、首の捻挫、両手首・・・
常にどこかにケガをしていて痛いわけです。
でも思うんですが、敢えて言うと、ケガはした方が良いと思うんです。致命的なケガでない限り。
もちろん、致命的なケガはダメ。その後長期に渡って出来ることに制限がかかってしまうし、場合によっては命に関わるので。
「ケガのススメ」
ケガした方が良いと思うのは、不思議なことにケガは次の発展に繋がるから。これはもう確実に。
なぜケガが次の発展に繋がるかというと、その理由は、
①ケガすることで考えるから
②ケガの回復の過程で身体の組織が強くなるから
③そもそもケガするというのは、限界まで練習した(そしてちょっと限界を超えちゃった)ということだから
人間の身体は、筋肉だと200日くらい、骨で2~3年ですべての組織が入れ替わるそうですね。小さなケガとその修復をくりかえす中で、身体はどんどん変わっていきます。数週間くらいの短いスパンで変化を感じることはないけれど、1年前と比べると身体は全くの別物になっていることを実感します。
組織もケガをした方が良い
そんでもって、この「ケガのススメ」は個人だけじゃなくて、組織にも同じことが言えるんじゃないかと思うわけです。日常的に小さな失敗やいざこざ、人間関係のもつれ、といった「組織のケガ」を日々持つことが組織を強くするにあたって大事なんじゃないかと思うわけです。
ただし、組織の場合も致命的なケガはダメですね。例えば、破壊的な人間関係のもつれは無い方が良い。そうした破壊的な問題は組織の目標達成にネガティブな影響を及ぼすので。
そういう致命的なケガにならないように、鬱憤や不満が爆発するまで溜まらないように、小さく小さくガス抜きして小さなケガをしていく方が良いと思います。
地震のメタファーで言うなら、破壊的な大地震を起こすプレートの歪みエネルギーが溜まる前に、小さな地震が起きて歪みエネルギーが少しずつ解消されていた方が良い、と言うことなのかもしれません。
ケガとその修復は組織的な「拡張学習」である
こうした日常的な「ケガのススメ」はY・エンゲストロームの言う「拡張的学習」の考え方と合致するのかもしれません。集団的活動システムは常に内的矛盾を含んでいるわけで、参加メンバーは常に「違和感」を感じます。
そうした「違和感」をメンバーが共同で発見・分析・理解するプロセスを継続して行うことが、劇的な組織変革につながるのではないかと思うわけです。
「違和感」を持つのは当たり前で、それをネガティブなものと捉える必要はありません。むしろ、そうした「ズレ」は変革を起こし組織を前に進めて行くヒントになり得る。だから、個人が感じた「違和感」を「無かったこと」にせずに積極的に取り上げて組織課題として扱っていく。
危機感だけで組織変革を目指さない
組織変革を目指す時に、危機感をあおるやりかたってありますね。ぬるま湯環境に熱湯をかけることで変革への意識を瞬間的に高めるやり方。このやり方は有効だと思いますが、問題が1つ。それは、常に変化する環境への組織的対応力の向上に結び付きにくいということ。
「危機の時にだけ変化する組織」ではなくて「日々変化する組織」を作るには、組織的な拡張学習が発生する仕組みを組織の中に作っておくことが必要だと思います。
人も組織も、一度「勝ちパターン」を作ると、そのやり方を常に使おうとする傾向があります。しかし、環境は常に変化し続けている。だから、その環境に合わせて個人も組織も常に学習棄却(Unlearning)をして「勝ちパターン」を変化させていく必要があります。それを組織的な拡張学習のプロセスとして行っていく。
日常経験の中の小さな違和感を「感じ取って」「読み解いて」「変化に繋げる」、そういう組織の自覚力を高めることが本当に大切だと思います。それが組織変革を考える時の基本的な視座なんじゃないかと思います。
怖れずにケガをして、それを積極的に扱っていきましょう。