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ポーランド戦に見る日本人の心の働き|MBTIの観点から

POSTED: 6月 30, 2018, 3:32 pm

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物議を呼んだポーランド戦

ワールドカップロシア大会1次リーグ H 組の日本は6月28日にポーランドと対戦し1対0で敗れました。しかし、同日行われていたセネガル対コロンビア戦で、コロンビアがセネガルに1対0で勝利したため、日本はセネガルと勝ち点4、得失点差0、総得点4で並び、今大会から導入されたフェアプレーポイントの差でセネガルを上回り、決勝トーナメント進出を決めました。

このポーランド戦、特に0対1で負けている局面で日本が終了までの10分間攻撃を止めボール回しをして試合を終わらせたことに関しては国内外で賛否両論が出ています。

日刊スポーツがポーランド戦があった28日の午前0時から翌正午にかけて、「サッカー日本代表」と呟いた投稿内にある言葉を分析し、対象となる9911語に関し、賛成的か否定的かの分析を行いました。(*「キーワードは“恥”日本パス回しにSNS賛否両論」 日刊スポーツ.com 2018/6/30)

その結果は、賛成的と分析された投稿は56.3%で、否定的と分析された言葉は39.0%でした。 Twitter 投稿者は日本人全体を表しているわけではありませんが、 投稿者の中でも賛否が分かれていることがわかります。

西野監督の采配は合理的に見える

今回のポーランド戦の最後の10分間における戦術の選択は「決勝トーナメントに上がる」ことを目的とするのであれば合理的だったのだと思います。FIFAのグループ Hの ランキングを見ると、

  ポーランド 8位
  セネガル 27位
  コロンビア16位
  日本   61位

となっています。順当にいけば、28日の試合ではそれぞれ、ポーランドとコロンビアが勝つのだろうな、と見えます。

ゲームの終盤、日本は1点を取ってポーランドに追いつけば良かったわけですが、チームの実力差を考えると、日本が1点取れる可能性はポーランドにそれ以上得点される可能性(もしくは必要以上なイエローカード受けてしまう可能性)より低いと判断しても全くおかしくはないでしょう。

さらに、裏で行われていたセネガルとコロンビアの試合に関しても、セネガルが同点に追いつく可能性よりも、コロンビアがその差を広げる可能性の方が高いと判断してもおかしくはありません。

よって、確率的に考えれば、「決勝トーナメントに上がる」目的と照らし合わせると、攻め込むことを止めてフェアプレーポイントの差に賭けることは合理的な最善策に見えます。

決勝トーナメントに上がれれば、その過程は何でもアリか?

しかし問題は、目的は本当に「決勝トーナメントに上がる」ということだけだったのか?ということです。その結果さえ満たせば、結果を導き出す過程の質は問わないということでよかったのか?ということです。

この次元の話になってくると、問題は複雑になります。なぜなら、 「決勝トーナメントに上がる」ことは共通した目標ですが、その過程に対して求めるものは、人によって異なるからです。

「感動をありがとう」とか「自分たちのサッカー(に殉じる)」から決別し、貪欲に次のステージを目指す。日本代表が、そうした新たな次元に到達した瞬間を、ここボルゴグラードでわれわれは目の当たりにすることとなった。(*「アイロニーを含んだ日本代表のGL突破次のステージを目指し、新たな次元に到達」 Sportsnave 2018 World Cup Russiaコラムより)

という意見も当然ありますし、 セルジオ越後氏が言うように、

決勝トーナメント進出は嬉しい結果かもしれない。だが、負けるのを良しとした姿勢は納得がいかない。W杯という舞台で大ブーイングを受けたことは喜ばしいものではないね。今のままでは誇れる大会ではなくなるし、子どもたちにも『いい試合だった』とは言えない(*「敗戦を受け入れての16強にセルジオ越後氏「世界に恥を…」「次負けられなくなった」」 SoccerKing 2018.6.29より)

という意見も妥当なものに見えます。

心の働き・価値観が違えば考え方は変わる

こうした異なる意見が出てくる背後には、人によって異なる心の働きがあり、また、人によって異なる価値観があります。

オランダの社会心理学者ヘールト・ホフステードは、 人の行動決める要素は三つあると述べています。一つは、遺伝的に人類全体で決まっているものです。これは人の心の働きや価値観の差を生み出すものではありません。しかし、残りの二つは人による心の働きや価値観の差を生み出します。一つは個人の性格であり、もう一つは集団の文化です。

私は人や組織の変化を支援する仕事をしていますが、その際に個人の性格的な側面と集団の文化の側面を同時に観察して取り扱うことが必要になってきます。それは、個人の性格と集団の文化と言う異なるレベルの要因が人と組織の多様性と複雑性を生み出しており、それを何らかのメソッドに基づいて紐解いていくことが必要だからです。

あの10分間、ある人は○○を観て、別の人は○○を観ていた

私は個人の性格を深く理解するためのメソッドとして、MBTIを使っています。 MBTIはユングのタイプ論を元にした自己・他者理解メソッドで、 世界で毎年500万人の人が活用しています。

ポーランド戦の翌日に、このMBTIの認定ユーザー (MBTIを実施する有資格者)の集まりがあり、たまたま前日行われていたポーランド戦に関して、どんなことを思ったかという話になりました。

MBTIは人の心の働きはタイプによって異なるということを理解し、自分のタイプの心の働きだけが正しいわけではないということを教えてくれます。認定ユーザー同士は、お互いのタイプが異なるということを理解した上でポーランド戦の印象を話していました。

案の定、人によって異なる印象を持っていたのですが、印象に残ったのは、同じ10分間の試合の映像を見ていても、焦点を当てて観ているポイントが全く異なるということ。

ある人は「ワールドカップで活躍するために子供の頃から努力を積み重ね、ようやく勝ち取った檜舞台手の試合。そこで観衆からブーイングを浴びながらボールを回し続ける選手一人一人の気持ちを思うといたたまれなかった」と言っていました。

一方で、 別の人は「攻め込んで失点してグループリーグ敗退になっても非難される。ボール回しをして試合を終わらせても非難される。それならば、最善の可能性に賭けた方が良いと思った」と言っていました。

この2人の意見の違いは、 単に意見が違うというだけの話ではありません。よくよく話を聞いていくと、同じ10分を観ていても、どうも焦点を当てて観ているものが違うのです。

「選手がかわいそう」と言った人は、この10分間グランドでプレーをする1人1人の選手の気持ちに焦点をあてて観ていたように聞こえました。

一方で、「 最善の可能性にかけるのが良い」といった人が焦点を当てて観ていたのは、フィールドの選手ではなく、概念としての勝敗の可能性のように聞こえました。

MBTIのタイプで言うと、最初の人はSF(感覚・感情)で、後の人はNT(直観・思考)です。上記の観る焦点の違いは、それぞれのタイプ特性を考えるとごくごく自然な心の働きのように思えます。

異なる意見を否定するのは間違い

同じものを見ていたとしても、何を知覚するかはタイプによって異なります。前者のタイプは、具体的な人の気持ちの情報を心が取りに行く傾向があり、後者のタイプ目の前で起こっている試合そのものではなく、その背後で起こりうる可能性を情報として心が取りに行く傾向があります。また、知覚している情報も違えばそれをどのように判断するかも異なります。

このように元々の心の働きがタイプによって違うのだから、同じポーランド戦を見ていたとしても異なる意見が出てくることは至極当然です。タイプに優劣はないので、そこで話されている異なる意見の間にも優劣はありません。 よって、ムキになって相手の意見を否定する必要は全くないし、そうすることは自分の感覚が相手よりも正しいのであるという間違った前提に基づいている可能性が高いと言えます。

人は無自覚に生活をしていると、自分と似たような感じ方やものの考え方を好み、異なるものを劣ったものとしてみたり、排除しようとする傾向があります。自分の感覚や考えだけが正しいなんていうことはあり得ません。よって、常に自分を相対化する試みを続ける必要が出てきます。MBTIはそうした自分の相対化を進めるにおいて、非常に有益なメソッドだと感じます。

集団の文化の観点でも、今回のポーランド戦は興味深いのですが、長くなってきたので、また項を分けて書こうと思います。

関連記事→「サッカーW杯ポーランド戦と日本文化」 Hofstede Insights Japan投稿記事

渡辺寧

AUTHOR:渡辺寧(わたなべ やすし)

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。 2014年に独立し、現在は「人と組織が変わること」に焦点を絞ったコンサルティングに取り組んでいる。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。

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