「ほうれんそう」の本当の意味|昭和に学ぶ経営学
ほうれんそう運動を知っていますか?
先輩社員が後輩社員に向かって「ほうれんそう、しっかりやってくれよ!」ということがあります。報告・連絡・相談の最初の一字をとって「ほうれんそう」。
今年(2020年)は新型コロナウィルスの影響で新入社員研修をオンラインで行った企業も多いと思いますが、「ほうれんそう」は新入社員研修で教えられるテーマとして有名です。会社において「上司に対して報告・連絡・相談をこまめに行うように!」という内容として新入社員に叩きこまれます。
この為、「「ほうれんそう」って知ってます?」と聞かれれば、多くの日本人は「知っている」と答えると思います。しかし、この「ほうれんそう」、実は「上司に対して報告・連絡・相談をこまめに行うように」という意味ではありません。このことについて、どれくらいの方が知っているでしょうか?
ほうれんそう運動が始まったのは昭和57年
「ほうれんそう運動」は、昭和57年に、山種証券社長だった山崎富治さんが始めた運動です。
(出所「ほうれんそうが会社を強くする 報告・連絡・相談の経営学」山崎富治)
当時、中堅の証券会社で、社員の数が千人を越す規模になってきた組織において、社長である自分の耳に社員の声が入りにくくなってきたことを山崎さんは憂慮していました。
山崎さんは、
「もっと、上下の報告がキビキビと行われないものか、左右の連絡がスムーズに取れないものか、上下、左右にこだわらない腹を割った相談がなされないものか」(出所 同上)
と考えていました。その過程で、
「報告・連絡・相談の三位一体、”報・連・相”こそ、会社を生き生きとさせる原動力だ。ポパイの好きなホウレン草のように、この”ほうれんそう”も、会社にもりもりと力をつけ、元気はつらつとした”ポパイ社員”を作ってくれるに違いない」(出所 同上)
と思うに至りました。そして始めたのが「ほうれんそう運動」です。
ここで、山崎さんが「上下、左右にこだわらない腹を割った」と言っているのがポイントです。
すなわち、ほうれんそう運動とは、新入社員教育で教えられるような下→上へのコミュニケーションに留まるわけではないということです。これは、ほうれんそうは部下から上司だけでなく、上司から部下へも有るということを意味しています。
例えば、部下から「部長、うちの組織はここが問題です」とほうれんそうしたとします。これに対して上司は「問題を知らせてくれてありがとう。これに対しては○○という対策を取るのが良いと思うのだが、現場の意見はどうだろう?」と応答し、後日「この前知らせてくれた問題に関して、○○○というようにしようと思うが、どうだろう?」と部下に対してほうれんそうする必要があるということになります。
ほうれんそう運動は、最新の組織開発の潮流そのもの
山崎さんは言います。
「組織作りは、ホウレン草作りと同じ。本物のホウレン草に、光と水と肥料が必要なように、会社のほうれんそうにも、光と水と肥料が欠かせない」
会社のほうれんそうにおける、水は「社内の人間関係」。光に当たるのは「ポスト」。そして肥料は「給料」。この3つを整えることが大事と指摘した上で、山崎さんは続けます。
「”ほうれんそう”は”賛成”土壌には育たない」
実際のホウレン草は、酸性の土壌では育ちにくいのですが、この酸性を賛成にかけているわけです。つまり、人間関係が良く和気あいあいとしているように見える組織が、実は裏で「イエスマン病」に陥っている場合、その組織は上手く行かないというのです。
こうして見ていくと、昭和57年に展開されたほうれんそう運動が、現代の組織開発の取り組みと驚くほどの類似性を持っていることが分かります。
最近注目を集めている対話型組織開発では、複雑で予測が難しい環境において、組織メンバーは常に自分達の置いている前提や考えについて、対話を通じて見直し、協働を通じた組みなおし・創発を重視する、と考えます。
(出所「対話型組織開発 その理論的系譜と実践」ジャルヴァース・R・ブッシュ、ロバート・J・マーシャク著中村和彦訳)
山崎さんは言います。
「私にはそれほど才能もない。だから、如何に多くの知恵を集め、社員の力を合わせるかが経営者としての私の大事な務めでもあった」
高い権力格差を前提としてマネジメントを行うのではなく、組織内の上下・左右の腹を割った対話を進めたほうれんそう運動は、対話型組織開発と深く通じるように見えます。
昭和型組織開発から学ぶこと
日本人は、アメリカから来た手法や考え方をやたらと有難がる傾向があります。組織開発の分野でも、カタカナの組織開発手法が次から次へとやってきて、定着せずに消えていきます。一方で、既にある知恵や、定着している手法を地道に改良することに興味を示す人は稀で、流行りません。
私は、日本人のこの傾向は、そろそろ見直した方が良いと思います。
確かに、アメリカで開発されたコンセプトには、合理的で分かり易いものも多いので優れたものはどんどん取り入れた方が良いと思います。
一方で、特に組織論周辺のアプローチは、日本の文化的土壌(例えば、個人主義の程度)を考えると定着が難しいものがあったり、また「新しい」カタカナ手法の中身を見ると、日本で昔から行っていたことと何ら変わらないものであったりすることがあります。
人に新しい概念を受け入れてもらうには大きな労力を必要とします。労力をかけてカタカナの○○○組織という概念を導入し、それが組織に定着しないのは勿体ない。
本当に新しい概念形成が必要なのであれば、それは労力をかけて新しく導入する必要があります。しかし、多くの場合は、既にある知恵や、定着している手法を手直しした方が効率的かつ効果的です。なぜなら、既に知っている概念を拡張する方が、全く新しい概念を獲得するよりも認知的な負荷が低いからです。
組織内で、役職や部署の壁を乗り越えて、分厚い組織内コミュニケーションを形成し、環境に適応して行動する強い組織を作りたいなら、アメリカからカタカナの「〇〇〇〇組織」というものを持ってきて組織導入するのではなく、「ほうれんそう」を社内でしっかりと改善した方が早いと思います。
例えば、ほうれんそう運動では、「職前・職後のほうれんそう」が推奨されています。これは、朝仕事を始める前、夕方、仕事を終える前に、5分でも10分でも良いから、職場のみんなが集まり情報交換をすることです。今だったらスタンドアップミーティングと言われると思います。
40年近く前の実践の中に、日本で有効性が確認されている手法があるのであれば、それを使わない手はありません。
色々と学びのある昭和のビジネス書。読んでみてはいかがでしょうか?