ダイバーシティを成果に繋げる考え方
多様性のある組織は本質に近づく
以前の記事(「ダイバーシティは組織の成果に繋がるか 後編」)で「群盲象を評す」というインドの古い諺について触れました。
人によって変わる「象はこういうもの」という記述はすべて正しいのだけれど、それは象という全体像の一部を表しているに過ぎない。
つまり、「すべての人は正しい、しかし全体から見ると一部だけ正しい」
1人の人はその人の慣れ親しんだ見方でしかものを見ることが出来ません。
「視野を広げる」とか「盲点に気づく」とか、言い方は色々ありますが、自分の認知を変えていくということは、人の生涯発達にとってとても重要。一方で、そうした個人の認知の発達を短期で望むことは大変難しいのも現状です。(発達心理学者は、認知発達の段階が進むには最低5年はかかると言っています)
だからこそ、多様な人が組織で協働することが大切になる。組織の中で多様な人が多様な見方することで、人は全体の本質に近づくことが可能になります。
神戸大学の金井さんが「コラボレーションには火花が必要」という言い方で、優れた芸術や研究、経営の世界では2人の人間の火花を散らすようなコラボレーションがあったと述べています。(ピカソとブラック、ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニー、ソニーの井深大と盛田昭夫、松下電器の松下幸之助と高橋荒太郎、HPのデイブ・パッカードとウィリアム・ヒューレット、マクドナルドのレイ・クロックとハリー・ソンネボーン、等)
複数の人の目が複眼として機能する時、組織はより本質に近いモノゴトの姿を捉えることが出来るようになります。
ただし、多様性のマネジメントは大変
ただ、こうしたプラスの側面がある一方で、多様性を成果に繋げるのは簡単ではありません。それは以前の記事(「ダイバーシティは組織の成果に繋がるのか 前編」)で述べた通りで、人の「心の習慣」は異質なものをコンフリクトとして捉える傾向を持っているからです。
劇作家の平田オリザさんが面白い言い方をしています。詩人の金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という言葉があります。これに対し、平田さんは、これは村社会だから成立する感覚だ、と述べて「みんなちがって、みんないい」のではなくて、今は「みんなちがって、大変だ」なのだ、と述べています。
根本的な価値観を共有している間柄で様々な多様性があるのであれば「みんなちがって、みんないい」なのかもしれません。しかし、今我々が直面しつつある多様性の問題は、生まれつき育んできた根本的な価値観のレベルでの多様性の問題であり、価値観の多様性はコンフリクトを生む可能性が高い。
多様な人が共存できる環境を作る
平田さんは、価値観もライフスタイルも多様になる中では、「バラバラな価値観を持った人間たちが、バラバラのままなんとかやっていかないとならない」と述べて、そうした社会を生きるために「社交性」が必要なのだ、と述べています。
そして、「高校演劇で勝ちあがっていく学校って、どういう所ですか?」という質問の中で、それは「全員に居場所のある所だ」と述べています。
平田 全員に居場所のある部、ですね。これはもう、確実にそうなんです。それが演劇のおもしろいところ。
もし野球だったら、練習試合でメンバーを変えてみたり、がんばってるやつを試合に起用してみる、ということができますよね。でも、演劇は配役が決まってるから、途中で変えられない。その状態で2ヶ月とか長い期間、稽古をしないといけないんですよ。
—— 野球のように、いいピッチャーがひとりいればある程度は勝てる、ということは起きないんですね。
平田 そうです。とにかく脇役もフォローに回って、全員がちゃんと舞台に貢献するような雰囲気を作らないと、絶対に勝ち上がっていけないんですね。
(出所 平田オリザ「どんなに準備不足でも、定時に“幕が上がっちゃう”のがいいところ」 cakes 2015年3月3日)
お互いがお互いに対して積極的に役割を見出す
「ダイバーシティ」というキーワードは、実際は「ダイバーシティ&インクルージョン」と「インクルージョン」というキーワードとセットで使われます。(関連記事 「包容力のある組織の作り方」)
「インクルージョン=受け入れ」というと、何やら受け身なイメージを感じます。「我慢して」受け入れる、とか「割り切って」受け入れる、とか。本当は嫌なんだけど、受け入れざるを得ないよね、という語感をどことなく感じてしまう。
「全員に居場所を作る」ということは、そうした受け身の態度なのではなく、もっと積極的な行為のことなのではないか、と私は思うのです。つまり、誰もが排他されないようにケアをする、ということではなくて、もっと積極的に多様性を生かす、という意味。
それはすなわち、積極的に多様な人にそれぞれの役割を見出していく、ということなのではないかと私は思います。
このことは、演劇に限らず、スポーツでも同じことが言われています。2015年のラグビーワールドカップで日本代表の躍進を作ったエディー・ジョーンズヘッドコーチは、スタメンで出場する、しないに関わらず、選手によって期待する役割を変えて接していたそうです。例えば、スタメンで出場する実力は無かったとしても、非常に練習熱心でハードワークな選手はチームに学習と練習の文化を持ち込む役割を果たしているのであり、チームにとっては欠かせない。
こうした、多様な役割を想定して、様々な人にチーム内での「居場所」を作るコンセプトは経営学の中でも研究と実践の蓄積が進められています。
メレディス・ベルビンは1970年代からチームにおける役割の研究をする中で、チームが有効に機能するためには9つの役割がメンバーによってカバーされなければならないと述べました。
チームによってどの役割が重要かは変わるとしても、9つの役割はチームの中になくてはならない。しかし、往々にしてチームメンバーは「似たような人」、特にチームの主要メンバーとタイプが近い人が採用される傾向にある。結果として、チームの多様性は失われ、機能しなくなることが起こる。
組織の中で意図的・意識的に、お互いがお互いの居場所を作り合えるか。すなわち、多様性を前提にした1人1人異なる役割を、お互いが認識し合えるか。
多様性を前提にした時代の組織づくりでは、そうした心の態度=組織文化を作れるかどうかが、組織パフォーマンスに影響してきます。
他者と「協働」する準備は出来ているか?
それでは、多様性を生かす心の態度はどのようにすれば作れるのでしょうか?
残念ながら、誰にでも効く処方箋というものはありません。
しかし、その人に何が有効なのか、を考える上での補助線はあります。
「個」を超えた繋がりを考えるトランスパーソナル心理学では、心あるいは意識の状態を「プレパーソナル」「パーソナル」「トランスパーソナル」の3つに分けて考えます。
人によって、3つの状態のどこに居るのかは変わり、よって多様性環境に適応する為に必要なアプローチは変わってきます。
「プレパーソナル」な状態から「パーソナル」な状態に移行する、すなわち「個としての自分を確立する」ためにはコーチングが積極的に活用されたりします。「他人の人生を生きる」とう言い方をしたりしますが、他者の意向ではなくて自分自身としての生き方を確立する。自分は何に響くのか、何を大切にしているのか、そうしたことを時間をとって深く探索する際にコーチングは助けになることがあります。
「パーソナル」な状態から「トランスパーソナル」な状態に移行するためには、他者との協働を通じたワークショップが役に立つことがあります。(もちろん、ワークショップの種類によりますが、多くのワークショップが他者との「協働」をプログラムの仕組みとして使っていることがキモです)
他者と自分が「違う」ということ、そしてその違いは「ただ違う」のであって、そこに優劣は無い、ということを心の底から納得することが出来るか。優れたワークショップは、プログラム構造もファシリテーションも、そのことに他者との協働の中で気づくように設計されています。
私は、MBTIや国民文化に関するワークショップを行うことがあります。それぞれ「個人の性格」と「国の文化」という違うテーマに見えますが、実は本質的には場づくりの目的は共通しています。
それは「心の相対化」を行うための場作りである、ということ。
「自分の感覚は正しい、しかし他の人の感覚も同じように正しい」という理解を持つこと。そして、脊髄反射的に感じる異質なものへの違和感を超えて、他者と協働できる心の発達を少しづつでも進めること。
平田オリザさんの言う「社交性」はこうした心の状態の上に成り立つものだと感じます。
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関連記事
●「ダイバーシティは組織の成果に繋がるのか?(前編)」
●「ダイバーシティは組織の成果に繋がるのか?(後編)」
●「「合わない人」と、それでも協働していく知恵|MBTI×システムコーチングというアプローチ」
●「包容力のある組織の作り方 MBTIの活用法」
●「異文化理解は語学と一緒。大人になったら意識的に鍛えないと使えるようにならない」
●「異文化マネジメント力を磨く6軸の視点|グローバルリーダーを育成する」
文献
金井壽宏「組織変革のビジョン」
平田オリザ「どんなに準備不足でも、定時に“幕が上がっちゃう”のがいいところ」 cakes 2015年3月3日